年の暮れ ―老女のひとりごと(4)

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 札幌の大通の一つの樹にライトアップが施された、というニュースがテレビに出た。早くも年の暮れの商戦が始まろうとしている。まだ11月ではあるし、暖かくてとてもそんな気持ちにはなれないが、季節は確実にやって来る。

 そういえば去年は、仙台のライトアップに見とれたものだ。たしか、正月二日の夜であった。仙台の商店街は道幅が広く、歩道と車道の間には大きな街路樹がどこまでも続いていた。葉のすっかり落ちたこまやかな枝先に、小さな電球がちりばめられ、ずらりと並んでキラキラと暖かく輝いていた。歩いていて心が慰められたものだ。

 去年の暮は、夫が亡くなってまだ五ヶ月目だったので、お正月などうらめしく、ましておせちなど見たくもなかった。いっそ遠くへ行ってしまおうかとも思った。でも、年越しを外でするなんて今までしたこともなかったので、息子にどう言おうかと迷っていたら、息子は「思い切って出かけたら」と言ってくれた。私がぐずぐずしているうちに、他のツアーはみな満席となってしまい、仙台方面しか残っていなかった。仙台は昔、何回も行った場所ではあったが、東京を離れられれば私はどこでもかまわなかった。幸い宿は二晩とも個室だったし、知らない人とのさりげない話も、私の心を和らげてくれた。

 年の暮れがまた近づいてくる。

 近頃は何故か夫の良いところばかりが思い出され、切なくなることがある。もうだいぶ昔の話になってしまったが、夫は跡取り息子なのに田舎の家を継がず、姉夫婦が家を継いでいた。父の死後、遺産のことで仲たがいをした夫は、権利を棄てて姉夫婦とはずっと絶交をしていた。夫の病気が悪化して、延命はもう点滴しかないとわかった時、夫の姉は申し訳ないと思ったのか、田舎に近い立派な病院の特別室を探し、部屋代やら付き添いの費用一切を、最後まで持つと言い出した。東京の病院から寝台車で移り、そこでの入院は十ヶ月ほどであった。長い苦しい闘病の後の、夜明けに迎えた臨終は、胸を打たれるほど静かで安らかであった。

 私の心はまだあてどない。

 だが近頃は、心の痛みも少しずつ胸の奥底で鎮まりだしてきたようだ。これからを、自分らしく生きるにはどうしたらよいのか。

 時には、思い切り変身でもしてみようか――などと強気なことも考えたりする。でも、「それでとうなるというの……」という自問自答がたちまち頭の中に広がりはじめ、私はがんじがらめとなってしまう。一方では、変身できたらどんなに良いだろうと夢を見る。私の心はさながら風にそよぐ葦のようだ。

 いろんな旅行社から、パンフレットや本がどさっと我が家に届く。

 今年もまたどうしようかと迷ったが、やっぱりお正月は家に居たくない。大晦日から出かけることに決めた。心が定まるまでは、自然にまかせようと思う。

                                 1992.11

 

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