私と二人の子との、昨日今日 ―老女のひとりごと(1) 1992.9

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ひとりごと(1)


「お母さん、元気にしている? もうご飯食べた?」と名古屋の息子から電話がかかってきた。明るい声につられて「うんうん元気よ、この間も高山に行ってね……」などと、私も負けずにトーンを上げる。

 息子に代わってまた小学生の孫が、給食の話をしきりにする。その下の孫も「あーうー」と、大きな声だ。「電話賃が大変だから、もうそろそろ切るわね」と言うのはいつも私。そんな日は一日中ほんわかとなり、やっぱり家族っていいなあと思うのだが……。

 私はこの頃なるべく外に出るようにしている。今年になってからは、旅行が仕事かと思われるほど出かけた。サークルにも三つ入った。もともとどちらも嫌いじゃないけれど、本音の半分は、子供達に「今度は何々に行ったのよ、何々もしているのよ」と言いたいからなのだ。

 つまり、お母さんはしっかりと暮らしているわよと――。

 去年八月暑い盛りに夫が亡くなった。この十年間に大手術を三度もして、私も共に苦しんだ。無我夢中だった。それがふいに断ち切られて一人暮らしとなり、本当のところ、まだ虚脱感から抜け切れずにいる。

 そんな私を見る息子や娘の目……。子供に心配を掛けたくないという気持ちは、もしかしたら親馬鹿のあらわれなのかしら? あれこれ考えはじめると、際限もなく夫を思い出す。すると、思い出がたちまち胸一杯にひろがり始め、風紋のようにくずれながら黒い影となって私を押しつぶす……。

 息子はいま奥さんと二人の子を、大きなマントでしっかりと包んでいる。そしてこの頃は私にも、さりげなくマントの裾を掛けようとしている。私もごく普通の親だから、やさしい思いやりは涙が出るほど嬉しい。背中のつっかい棒が外れそうになる。

 だが、「甘えてばかりいると、あっという間にボケるぞ――」という声が聞こえてくるのは何故かしらん。今だって「十年も老け込んでしまった」という気持ちにとらわれることがある。だから、カラ元気で子供たちと張り合いたいのかもしれない。

 深層心理はどうであれ、制約のなくなった自分を底知れず甘やかす別の自分がいて、なんだかいつも私は落ち着かない。

 娘はコスタリカに住んで、もう十年になる。帰って来るのは、今まで年に一度位だった。だが、去年は連れ合いを放りっぱなしにして三回も帰って来た。夫の看護をよくしてくれ、臨終にも立ち会った。

 娘婿からの最近の国際電話によれば、彼女もまた時々放心状態になるらしい。お父さん子だったので、やっぱり虚脱感なのかしらん。

 でも私に電話してくる時は、いたって元気な声だ。話の終わりはいつものように、

「お母さんがんばって! 愛しているわよ――」

で、終わる。私も負けずに、

「櫻子ちゃん愛している、愛しているわよ――」

と、叫んでしまうのだ。

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