「こわいさん」 ―老女のひとりごと(5)

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 我が家の二階の床の間には、碁盤と碁笥(ごけ)が置いてある。もう飾り物になってから十幾年余りにもなるだろうか。今は部屋も使わない。

 階段をとんとんと上がったとき、たまに部屋をのぞくと、なぜか碁盤が目に入る。私を忘れないでと言っているようだ。

 人はたいてい主人のものと思うだろう。けれど、これは昔私が買ったもの、うちの主人は麻雀好きで碁はやらなかった。ひょんなことから私は碁を習うことになってしまったのだ。

 ――私はお琴の先生である。教えるなんて夢にも思っていなかったが、小さい頃からの成り行きで、子供が大きくなった頃には、家元にも通っていた。

 家元のお稽古は週二回、三曲界の華やかな行事が多く、神経をすり減らすところだ。

 みな弟子を持つ身の集まり、女ばかりの大奥なので大変である。だから何事も見ざる聞かざる言わざるがいい。だが、家元は激しい気性、公平とは言いかねるときもある。また、色々と制約もある。そのためいつも、陰では波風が立つ。波紋はどうしても拡がる。何も言えない下の者が、毎度毎度悩まされることになる……。

 そんなある日の帰り路。一つ手前の駅で吊革にもたれながら、外を見るともなしに眺めていたら、「碁会所」の文字が飛び込んできた。

 ――ふと、子供の頃を思い出してしまったのだ。近所に碁好きのやさしいおじさんがいたっけ。あの頃は、よかったなあ……。

 うんざりしていた気持ちの反動はおそろしい。私は不意に碁を習いたくなってしまった。これしかない、と思ってしまったのだ。こういうときは何故か決断が早くなる。

 おそるおそる入った駅前の碁会所のおじさんはやさしかった。大それたことをするような気もしたが、名前など内緒でいいと言う。

 ――この世界でなら自由になれる。それに家元からの帰りなら、何とかなりそうだ。

 そんなわけで私は、週に一回通うことになってしまったのだ。

 新しい冒険に急に元気が出てきた。せっかちな私は形から決めたい。そこでどうしても道具が欲しくなる。とうとう、手ごろな碁盤に、石だけは無理をして、中くらいの厚みの蛤と那智黒石を買ってしまった。こうなるともう子供も同じだ。

 だが、お待ちかねの物が届いたときは、愕然としてしまった。我に返ってみると、どう考えても主人には言えない。仕方がないので、しばらくは内緒にしようと思い、押し入れにしまってしまった。

 少しずつ分かってきたのは、まず定石を覚えなければならないということだ。「そこは、このあいだ教えたでしょ」「そこは止鳥(しちょう)ですよ」と笑われたりした。でも、忙しい身だから仕方がない。気にせずに通っていたら、ある日、褒められたのか飽きられたのか、「お稽古慣れしている人はどこか違う。女の人ははずかしがってすぐやめてしまうが、アンタは偉い」と言われてしまった。

 五ヶ月目ころ、「そろそろ名前を教えて」と言われる。碁会所には皆の名札が掛かっている。ご主人はもちろん七段。出来ない私をメンバーの賑やかしにでもするつもりらしい。「とんでもない」と私は取り合わなかった。

 その後、用事があってな二回ばかりお休み。しばらく振りにたばこ臭い部屋に入った私に、「やあ、待ってましたよ。あれ書きましたからね」と、ご主人はにっこりして名札の方を指差す。私の名前は秘密のはず……。何が何だか分らぬまま、ずらりと並んだ名札のどんじりを見上げてみた。

「七級、小和井」と、書いてある。

「まあ!」と、思わず笑ってしまった。とっさにご主人の考えが、私には分かってしまったのだ。日頃教わるときに、何気なしに「ああ怖い、ああこわい」と、私は口癖のように言っていた。七級は、大負けにまけた飾り物なのだ。

 ――その後、主人の病気で、家のお稽古も家元の方もお休みすることとなり、囲碁にも行かれず、とうとうそれっきり……。

 最低のルールだけは、ちょっぴり分かったものの、あの時の好奇心は、今はもうすっかりどこへやら……。

 あの、ユーモアのある碁会所のご主人は、今頃元気かしらと懐かしく思う。

 一度も使われなかった碁盤は、とうとう床の間で本物の飾り物になっていたのだ。

                                   1993.3