夏   ―老女のひとりごと(12)

f:id:babytomi:20210801122104j:plain

 夏になるとすぐ海を思い浮かべるが、海には忘れられない思い出がある。女学校一年の夏休みに、私は海で溺れかかったのである。

 故郷は千葉県上総の一宮(いちのみや)なので、幼いときから夏になると親に連れられて、毎日のように海に行った。一宮川をポンポン船で海岸まで乗って行く。真っ黒に陽に焼けて背中に水ぶくれができ、お風呂に入るとヒリヒリと痛かったことを思い出す。波打ち際でバシャバシャと遊ぶだけなのだが、それがとても楽しかった。五年生になると先生に引率されて、河口で泳ぎを習った。力のない私は中々前に進めず、草臥れてすぐ立ち上がっていた。女学生になってからは、親に散々注意を聞かされたうえで、近所のイミちゃんと行くようになった。二人だけということが、とても嬉しかったことを思い出す。本当に子供だったのだ。

 いつもの茶店に席を取り、帰る時はシャワーを浴びて着替える。おにぎりとそこで食べるおやつ代と船賃を貰って行く。冷え切った身体には、熱い茹で小豆のお汁粉が断然美味しい。ある日、美味しさの誘惑に負けて、二人ともお代わりをしてしまった。当然帰りの船賃が足りなくなる。その時は、三十分歩くぐらい平気平気と思ったのだが、現実は厳しい。なさけなやトボトボと歩くはめになってしまった。川岸の道なので船が見え、乗っている人が羨ましくて仕方がなかった。

 海水浴の場所は、旗から旗の間だ。安全のため、監視員の人が高い櫓の上から見張りをしている。また、寄せた波が引くときは、海から陸を見て右の方へ斜めに引いてゆく。だから、遊んでいても旗にはよく注意をしなければならない。自分の位置が右の旗近くになったら、いったん水から出て砂浜を左の旗まで歩いて行き、また遊ぶのである。

 その時も、右の旗近くになったので、出ようとしたのだが、なぜか引く潮が強く足を引っ張る。何度も波を被ってしまい、そのうちに旗の外になってしまった。顔が出たかと思うと、あっという間にまた次の潮に足を引っ張られ、水に潜ってしまう。いつの間にか足も立たなくなってしまった。隣にいたおじさんが手を差し出してくれたのだが、つかまっているうちにおじさんも水を被り、手を離されてしまった。塩辛い水をいやというほど呑み、アップアップして、助けて――と言おうにも、すぐ波を被ってしまう。苦しくて無我夢中だった。

 その時、監視員の人が来て、私の背中をドーンと押してくれたので、やっとのことで陸に上がることができたのだ。死ぬほど草臥れて青くなり、また、人に囲まれて消え入りたいくらいに恥ずかしかったのを思い出す。

「あんたは、澪(みお)に足を取られたんだよ」、「そんなときは、無理に岸の方へ行こうと思わずに、渦に身をまかせながらスルリと抜けるようにすると良い」と言われた。なぜか名前も聞かれなかったのだ、ホッとしながら家に帰った。

 昔から八月のお盆になると澪が荒くなくと言われている。その時も、お盆が近かったのである。親にはいつもくどく注意されているので、話せば叱られると思い、とうとう内緒にしてしまった。

 私にとって海は、それ以来、眺めるだけのものとなってしまったのである。

                             1993.7

f:id:babytomi:20210716174443j:plain