母と鰻   ―老女のひとりごと(2) 1992.9

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 私は鰻の蒲焼が大好きである。それも関西風はイヤ、鰻は何と言っても蒸して焼く関東風が絶対い美味しい!

 あのトロけるような味は、人を幸せな気持ちにするから不思議だ。それに、鰻を食べると母のことが思い出される。思い出したくなって食べるから、なお好きになる。

 私は物心ついたころから「母は鰻が嫌いなんだ」とばかり思い込んでいた。鰻を取り寄せて食べる時などは、匂いをかぐのも嫌だといつも言っていたからだ。

 敗戦直後の頃のことが、昨日のように鮮やかによみがえる。秋もたけなわの頃だった。使用人も徴用に取られ、姉たちもとっくに家庭を持っていて、我が家は両親と弟と私だけだった。食料不足でだれもが苦しんでいた。そんな暮らしをしていた時にいきなり、裂いたまんまの鰻を十匹ほど貰ったのだ。

 家中が喜び勇んだ。例の通り、母は傍にも寄らないので、父が串に刺して白焼き、味付けまでして皆で舌鼓を打った。粗末なものに慣らされている舌には、父のにわか料理でも、すごいご馳走だったのだ。

 母とお茶碗を洗いながら、私は「こんなに美味しいものを、何でお母さんは嫌いなのか不思議だわ」と聞いた。意外なことに、母は「昔は大好きだったのよ」と呟く。驚いたのは私だ。

 「え―何故? 聞かせて、聞かせて――」。私は好奇心の強い年頃だったからしつこく聞いた。だが、母は「男の子がどうしても欲しかったから……」と、それしか言わない。

 「好きだったものが嫌いになるなんで、そんなことがあるのかしら……? 本当に不思議ね」と言う私に、母は、「自分でも不思議でしょうがないんだけど、何故だか嫌いになってしまったのだからしょうがないわね」と笑っていた。こともなげに呟いていたので、当時の私は「そんなものか――」ぐらいにしか考えず、何時しか忘れてしまっていたのだ。

 思えば、母の嫁いだ当時の我が家は、父、舅、姑、住み込みの番頭二人、小僧、通いのお手伝いのいる賑やかな商家だった。跡取り息子が欲しいのに、なぜか五人も女の子ばかりが続いてしまった。

 姑にもあまり好かれなかった母……。

 またか――という思いで、五番目の私が生れた時は、家中がさぞがっかりの頂点だったろうと思う。だけど、私が六歳になるまで下が生れなかったので、結局私は末っ子同前に甘やかされてしまった。

――男の子がどうしても欲しい。

 母はそれまで鰻が大好きだったのである。神様にお願いを聞いてもらうには、一番好きなものを断つのがよい。そこで一大決心をして鰻断ち、お茶断ちの願掛けをしたのだ。そんなくらいだから、妊娠とわかったとき、母の顔つきはさぞ変わったことだろう。

――今度また女だったらどうしようか。

 それが、願掛けの霊験もあらたかに男の子が生まれ、「神様のお蔭」と信じている母の喜びはいかばかりであったことだろう。家中が大喜びで、初節句は内飾りも外飾りも賑々しかったのを思い出す。

 今度は無事に育つかと心配でたまらない。弟は大事にされ過ぎたせいか、よく病気をして母をハラハラさせたものだ。それで、お茶断ちは解いたものの、鰻の方は続けてしまったらしい。そんなこんなで、弟が小学生になるまで続けているうちに、いつのまにか匂いまでが嫌になってしまったのだそうだ。

 今思うと大変なことだと思う。母のどこにそんな執念が潜んでいたのだろうか……。本当は、我が子が気になるあまり、ずっと我慢を続けてしまったのかもしれない。だから匂いの誘惑を恐れたのかしら?

 一途な気持を夫にも言わず、父は知らぬままに逝ってしまった。しかも母がこの話をしたのは後にも先にもこれっきりだったのだ。

 母はとうとう鰻を口にせぬままに、十五年前に大往生をした。

 母の死後、姉たちや弟は「知らなかった――」と驚いていた。現在還暦を過ぎた弟は、この重みをどう感じているのだろうか。

「お母さん! お母さんは、もしかしたらやっぱり鰻が大好きだったんじゃあないの? あの世では、どうか好きな鰻をたくさん食べてね。お母さんを思い出したくなった時は、私も、鰻を食べることにしようと思うの。」

――かくして私は、鰻をしばしば食べることになるのだ。

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